
1年程前、ベストセラーになった山ア拓己の“気くばりのツボ”
という本を借りて読んでみたところ、一ヶ所、自分でも前々から感じていたが、文章で読むのは初めてだなと思う一節があった。
「興味のなかった話題も、知らなかった言葉も、たいてい聞いてから3日以内にまた話題にのぼります。 不思議だけれど、そういうものす。」 というところ。
僕も以前から(といっても20代前半頃)、これと似た経験があり、知らなかった事だけではないのだけれども、大体24時間以内に‘再現’する。
20代の頃は書きとめていなかったので忘れてしまったけれども、 ココ最近で1番の再現は、
2年程前のことで、
一人暮らしの頃から部屋に飾っていた白黒写真のポスターがあり、
そのポスターにも少し飽きたし、日に焼けてセピア色になっていたから、 そのポスターをバックに、そのポスターよりも一回り小さいアルファロメオのポスターを上に重ねて飾っていた。
ある日曜日の夕方、義弟が家に遊びにきた時、
僕の部屋にあったアルファロメオのポスターを義弟に見せ、 そのバックにはパリの路上でキスをしている男女の写真が隠れていて ロベール.ドアノー という写真家の作品なんだというような説明をした。
手料理をふるまい、みんなでお酒を飲みながら団欒していると、
見ていたテレビに、何時間か前に義弟に説明した、 ロベール.ドアノー の写真がアップで映しだされた。
僕は急いで部屋に義弟を連れて行き、アルファロメオのポスターを額から出し、その下にあったパリの路上でのキスのポスターを見せた。
そのテレビ番組はドキュメンタリー番組で、写真の女性は今80何歳かで健在、インタビューを受け話していられた。
これは、近年の中ではピカイチの‘再現’だった。
上の写真2枚が、その時の再現の再現です。
年と共に、再現の頻度が減ってきている気がする。
自分自身の感度、感受性が鈍ってきているのかなぁ?
しっかりしなくちゃ。
Bueno



「偶然の一致です。不思議だけど、そういうものです。」(by bluenote)
話題にして一致したことよりも、
それより何千倍・何万倍も一致しないことの方が多いでしょう。
統計で考えると、宝くじで一万円当たるよりも少ないのでは?
(一億円当たるよりは、多いでしょうけれど。)
確かに、話題になったことは何日間か覚えているもので、もう一度見た、聞いた、読んだ時に僕の言う再現と感じる事はあるとは思います。 特に、流行りで初めての言葉などは怪しいです。 例えば、ここ何ヶ月かの言葉で言えばサブプライムなど。
最近の僕の言う再現は、
職場の旅行の時、ロシアの人形で開けるとその中に同じ形の人形が入っていて、またその中にも同じ人形のヤツの話関連で、みんなで大笑いをしました。 しかしだれ一人、その人形の名前がおもいだせません。
次の日、雑誌を見ていると人形の写真と共に、‘マトリョーシカ’がしっかり現われてくれました。
過去何年、雑誌でもテレビでも‘マトリョーシカ’は見ていません。
気に留めてないからだとおっしゃるでしょう。それにしても、マトリョーシカがちょうど24時間後ですよ。
確率、統計の問題ではないのです。現われない時のほうがはるかに多い事は間違いないのですから。
僕は感じる力だと思っていますし、 偶然以上のモノを感じています。
過去に経験の無い事に対して‘デジャヴュ’を感じることがあるように、再現もあるのです。
違う事のほうが多いとしてもです。
みなさん同じように、名前が出てこないものの代表的なもののようで、
クイズ番組等の問題で使われていたことを、最近も見ています。
マトリョーシカというものを知っている、ということから既知感を感じるのです。
知っていることが多ければ多いほど既知感も多くなるのでは?
知識、情報、会話、行動が多ければ偶然の起こる可能性も増えるのでは?
頻度が減っていると感じているのは、それらのうちのどれか、
あるいはそれらのうちの複数が減っているのでは?
感受性が衰えていると感じるのはそのためではありませんか?
僕の言う再現には、規則性はありませんから偶然の範囲です。
これは捉えかた、感じ方の違いで、
‘単なる偶然’とみるか、そうみないかです。
僕は単なる偶然とはみていません。
‘赤い糸’だってあるかもしれませんよ。 そうとう太いのもあるかも知れませんし、切れている場合もあるでしょう。 僕は大して信じていませんが。
不思議なこと、説明できないことなどは確かにあると思います。
水掛け論になりそうですので、この記事に関するコメントは最後にさせていただきます。
ブルーノートさん、いつもコメントありがとうございます。 これからもコメント宜しくお願いします。
今度トラックバックから入ったらどうですか?
ブログアドレスが入れられます。知っているでしょうが。